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011 株式会社 劇団ひまわり

着実にスキルアップできる一貫した俳優養成システムが整う「株式会社 劇団ひまわり」
実力派俳優を送り出してきた老舗劇団が
今めざすは“エンターテインメント創出企業”

レンガ造りの建物が存在感を放つ東京本社。社屋内に東京俳優養成所、専用劇場「シアター代官山」があります

事務所探訪第11回は、「株式会社 劇団ひまわり」です。俳優養成のきめ細やかさに定評があり、幼少期より芸能活動を始め、長期にわたって活躍している俳優が多く在籍しています。子どもだけでなく、青年、大人になってからでも演劇を一から学ぶことができる環境を整えており、幅広い世代の逸材を輩出。また、学べるジャンルも幅広いことから、俳優業だけでなく、声優業、歌手業、ダンスパフォーマンスなど、マルチな才能を見せるタレントもいます。

今回は、代表の砂岡不二夫さんに、全国3000人以上の研究生を温かく見守る指導者として、企業の進化を牽引する経営者としてのお考えをうかがいました。

■ 劇団名に込められた先代の想い

初代代表に誘われて昭和52年に入社し、その後、事業を引き継いだ砂岡さん。入社前は法律家をめざす青年だったのだとか

創業者である父・藤三郎は、もともと映画畑の人だったんです。昭和24年に映画製作会社「滝村プロダクション」に入社して、その中の一部門のようなかたちで、5~6名のスタッフとともに「劇団ひまわり」を立ち上げたそうです(その後、昭和28年に退社し、独立)。

劇団名の由来は、画家ゴッホが弟テオドルに宛てた手紙を父が読んで、名画『ひまわり』が困窮のどん底の中で生み出されたものであることを知り、『ひまわり』を描いたときのゴッホと同じように、困難な状況にあってもたくましく育ってほしいという願いを込めてつけたものです。

銀座に事務所、八重洲と品川に稽古場を構えましたが、まだ知名度がない劇団のことを少しでも多くの人に知ってもらいたいと、ガリ版刷りの機関紙『ひまわり』を創刊したとか。昭和33年に本格的な活字印刷版となって以来、年に4号、長く発行してきました。カラー化したり、フリーマガジン『Here Comes the Sun』として雑誌のようにしたりと、少しずつかたちを変えてきましたが、デジタル社会に対応するため、今年からデジタル版にして、より多くの人に手軽に読んでいただけるようにしました。

昭和34年に恵比寿に移転し、児童劇場にて念願の第1回公演『雪の女王』を実現させました。その頃から、多くの研究生がメディア出演するようになり、注目され始めました。

機関紙『ひまわり』。題字はなんと武者小路実篤の手によるものだそうです
平成26~28年に発行・配布していたフリーマガジン『Here Comes the Sun』

■ 遠方から通う研究生のために全国展開

私は昭和52年に入社しました。当時はまだこの建物ではなくて、現在の恵比寿ガーデンプレイスの近くにありました。翌年、組織拡大に伴って法人化したのですが、その後、今の地に移転しました。同じ社屋内に、事務所や俳優養成所を入れ、のちに専用劇場として「シアター代官山」を造りました。

研究生のメディア出演が増えるにしたがって、地方からレッスンに通ってくる子どもたちも多くなってきました。親御さんと一緒に、北海道や四国、九州など遠方から、毎週のように飛行機や高速バスで来ていました。本人も親御さんも大変ですよね。私から親御さんに、「レッスンに通っていれば必ずスターになれるというわけではないんですよ」「大きくなってから来てもいいのでは」と言って説得しようとしたのですが、「どうしてもやりたい」と。

でも、それでは長続きしないでしょう。それなら、地方各所にレッスンを受けられる場所を作れば、無理なく通えるのではないかと。そこで、大阪を手始めに、福岡、名古屋、札幌と全国展開していきました。そのほか全国16カ所に、週末のみレッスンを行うエクステンションスタジオも開設しました。

社屋は、特注したという信楽焼のレンガが全体にあしらわれた、こだわりのデザイン。天窓から自然光が注ぎ、明るく心地よい空間が広がります。入り口にも信楽のたぬきが立ち、研究生やお客様を出迎えてくれます
昭和59年にオープンした専用劇場「シアター代官山」(123名収容)。ここで研究生の発表公演のほか、商業演劇も上演されています。後方には立ち見スペースがあり、発表公演の際は親御さんたちの三脚がずらりと立ち並ぶそうです

■ スキルだけでなく人間力も磨かれる俳優養成所

稼働している練習スタジオは7室。採光窓があり、地下室ながら自然光が入る設計になっています

講師は全国に250名います。俳優・声優もいれば、劇作家、演出家、殺陣師、ダンサー、日本舞踊家などもいて、どなたも舞台や撮影現場などで、現役で活躍している方々です。演技のレッスンはもちろんのこと、歌唱、ダンス、日本舞踊、時代劇の所作やセリフ回し、パントマイム、クラシックバレエ、タップダンス、アクションなど、多彩なレッスンをそろえています。

本気でプロの世界をめざす人を対象にした、全日制の声優科・研修科・研究科ではすべて必修のレッスンで構成されていますが、それ以外のクラスでは、基本的に各自が好きなレッスンを選択することができます。また、同じレッスン科目でも、講師の特徴によって教えられるものが違うので、複数の先生に教わる研究生もいます。

稽古場にはカメラを設置。事務所にあるモニターから研究生たちの様子を見守ることができるようになっています

無料登録の、リトルキッズ(0~3歳対象)のクラスもありますが、レッスンは幼稚部(4~6歳対象)からスタートします。幼稚部、児童部(小学生対象)、中等部(中学生対象)、高等部(高校生対象)、青年部(18~39歳対象)の研究生は、平日は夕方から、土日は朝からレッスンがあります。シアタースクール(40歳以上対象)は平日昼間にレッスンがあります。3カ月ごとにカリキュラムがあり、月曜日から日曜日までさまざまなレッスンが用意されています。そのほか、夏休み中のサマーパフォーマンスや、発表公演があるときは集中的に稽古を行うこともあります。

全日制の声優科・研修科・研究科は、月曜から金曜まで週5日。レッスンは10:30〜12:30と13:30〜15:30ですが、毎日9:30〜10:30まで、清掃、準備運動、呼吸・発声・調音のトレーニングがあり、基礎力をつけています。自習する人は17~18時までいます。年間1000時間を超えるレッスンが用意された、集中カリキュラムコースです。

研修科は初心者から俳優・アーティストをめざす人のための基礎クラス、声優科は声優を目指す人のための基礎クラス、研究科はある程度経験があり、基礎ができ上がっている人のためのクラスで、高校を卒業した18歳以上という前提で作ったクラスではあるのですが、実際には通信制の高校に在籍しながら通ってきている高校生もいます。中には高校も中退してここに飛び込んでくる人も毎年数名いるんですよ。彼らに話を聞いてみると、学校でのいじめで不登校になった人など、複雑な事情を抱えている人もいます。親御さんと悩みに悩んで、ここに演劇の効果を求めてやって来るようです。そういうときに演劇に取り組むのはいいことですよね。心を開放していくことができる。素直な気持ちにならないとお芝居はできないわけですから。

所作のレッスンもできるように和室が造られています

演劇というのは“人と人とのやり取り”。人としていちばんの基本を鍛えることができるんです。それが今の時代、希薄になってきているから、いろいろな問題が起こっているんだと思います。でも、そうした演劇の教育的効果は本来の目的ではなく、あとからついてくるものです。教育というのは、指導者が育てるものではなく、教わる者が自ら育つものであるべき。“夢に向かって努力しているうちに自然と育っている”というのが劇団ひまわりの考えです。

■ 入団のきっかけは何であれ、長続きの鍵は“自立”

研究生の募集は基本的に、「やりたい人はいらっしゃい。誰でも努力すれば歩める道ですよ」というスタンスで、門戸を開いています。

子どもの場合は、ふたつのタイプに分かれます。ひとつは、「スターになりたい。プロをめざしたい」と明確な意志をもって入団するタイプと、「思い出が残ればいい」とお稽古ごとのひとつと捉えて入団するタイプ。どちらのタイプが続くのかは、一概には言えません。ただ、最初は親御さんに連れてこられたとしても、続けているうちに自立できる子がいます。結局は、本人がやる気をもてるかどうかなんです。

親御さんの中には子どもを自分の分身のように思っている方がいらっしゃいますが、子どもの人生は子どものものです。大人が自分の気持ちを押し付けてしまうと、どこかで無理がきてしまうことが多いですね。子どもが大きくなっても現場やオーディションについてくる方もいらっしゃいますが、親が廊下にいると、子どもの意識がどうしてもそちらに向いてしまって、集中することができません。

今、活躍しているタレントには、子どもの頃から現場にもオーディションにも一人で行っていた人が多いですね。女優として活躍する中嶋朋子さんも小学校3年生ぐらいの頃からフジテレビ系列ドラマ『北の国から』に出ていましたが、お母さんがお仕事で東京を離れられず、北海道ロケにあまりついていけませんでした。声優の宮野真守さんも、お母さんが「自立してほしい」というお考えの方だったので、一人で行動することが多かった。そのほうが鍛えられるんでしょうね。早くに親離れして、自立していきます。

■ 努力なき者に成長も成功もなし

昼休憩の時間も惜しんでタップダンスの自主練習に励む研究生も

レッスンに通ってさえいれば成長すると思っている人が多いのですが、それでは全然足りません。成長するために必要な要素を割合で示すとしたら、レッスンによる“学習”はたったの25%でしかない。あとの75%は違うかたちで自分を磨いていかなければなりません。それは、“観察”と“実践”です。“観察”は、自分がやりたいと思っていることをしている人や、その作品を観たりして、周りから吸収すること。それも25%で、残りの50%が“実践”です。学んできたこと、観察してきたことを、実際に行動して試してみる。

もちろん、実践すれば失敗することもあるでしょう。発表公演などで舞台に立ってみると、「できると思ったけどできない」ことに気づかされます。そこで、「もう恥をかきたくない。どこがいけなかったんだろう。どうすればいいんだろう」と考えて、次の行動につなげていく。その繰り返しです。

このように、ただ漠然とレッスンに通っているだけではダメで、自分で考えることが大事なのです。他人と同じようなことをしていても、俳優にはなれますが、売れっ子にはなれません。

レッスン中にしろ、録音や録画をしておいて、あとで振り返って分析できる人は、どんどん成長していきます。当たり前のことを当たり前にできる人は成長していきますが、日常のひとつひとつを軽く考えて流してしまう人はいつまでたっても成長できません。日常から努力が目に見える人には自然と仕事をする機会が増え、それによって成功する確率も高くなります。

演劇に限らず、プロと呼ばれる人は、みんなそういう努力を経てきたのではないかと思うのです。世の中の多くの人が夢をかなえられない、目標を達成できないというのはそういうことですよね。

やるべきことをやる。そして、やってはいけないことはしない。「歩きスマホ」や「信号無視」もそうですが、「みんなやっているからいいじゃないか」とまわりに流されて、ついやってしまうことってありますよね。でも、そこでまわりに流されずにルールをきちんと守っていける人は、自分で決めたルールも守れるものです。

■ 早めに決断できるかどうかが人生の分かれ道

当社のタレントに関していえば、「俳優として生きる」という決意を早めにできる人は伸びることが多いですね。「俳優もやっていきたい。でも学業も……」と、目的があいまいで、二足のわらじを履く人は中途半端で終わってしまうこともあります。18~22歳のいちばん仕事が多い時期に、大学のゼミや試験でオーディションに行けないということが続くと、チャンスをつかみにくい。22歳までにある程度の芸歴が固まっていないと、なかなか難しいですね。

とはいえ、10代で決断するというのは大変なことです。「いい学校に入らなければならない、いい企業に就職しなければならない」という先入観がありますから、相当悩むと思います。才能があって、生涯プロとしてやっていける実力があると認められているのに、塾や受験を理由に止めていく人もいます。いい学校に入るためにやりたいことを犠牲にする。それでいい企業には入れるかもしれませんが、それが本当にやりたい仕事なのかどうか、自分の人生をしっかりと見つめて考えてほしいと思います。

また、いったん進路を決めても、人生どうなるかわかりません。中学生まで劇団ひまわりでタレントをしていて、のちにテレビ局の社長になったという方もいます。私も劇団ひまわりに入るまでは、法律事務所という芸能関係とはまったく違う職場にいましたが、結果としては今の仕事でよかったと思っています。自分が幸せだと思えるなら、どんな道に行ってもいいのです。

■ 独立したプロダクションをもつ利点

東京本社の皆さん。マネージャーのほか、俳優養成にかかわる教務スタッフ、舞台や映画の制作スタッフ、広報スタッフ、事務スタッフが劇団ひまわりを支えています

劇団ひまわりには、マネージメント業務を行う部門が3つあります。劇団ひまわり内のメディア局のほか、独立したプロダクションとして砂岡事務所、ブルーシャトルがあります。

劇団から独立したプロダクションを作った理由のひとつに、俳優の流出対策があります。どの劇団にもあることだと思いますが、劇団である程度実力をつけると、プロダクションへの移籍を考えるようになるからです。「単なる養成所で終わってしまったらもったいない」という考えもありました。昭和55年に砂岡事務所を設立し、当時劇団ひまわりですでに有名になっていた古尾谷雅人さんや、田中美佐子さん、村田雄浩さんをマネージメントする専属プロダクションにしました。

また、劇団ひまわりには今でこそ幅広い世代が在籍していますが、昔は子どもがもっとも多く、“児童劇団”というイメージがありました。そのため、大人になると「恥ずかしい」と隠したがる人もいて、独立したプロダクションは、そういった人の受け皿にもなりました。でも、今ではもう、そういったことを言う人はいなくなりましたね。声優の宮野真守さんは劇団ひまわりのメディア局に所属しています。声優ではほかにも、木村良平さんや内山昂輝さん、諸星すみれさんなど、大人になっても変わらず劇団ひまわりの一員として活躍してくれています。

現在、劇団ひまわりのメディア局に所属している人と、砂岡事務所やブルーシャトル(平成14年設立)に所属している人との境目はまったくありません。ただ、ひとつのプロダクションに何人も集まると、どうしても序列が生まれてしまう。それを避けるために、プロダクションはいくつあってもいいと考えています。ですから、今後も増やす可能性はあります。

劇団から独立したプロダクションをもつことには、ほかにも利点があります。作品を企画・制作・興行していくうえで、プロデュース公演を打ちやすい。劇団公演と違い、キャストは劇団員だけでなく、外部の方もお招きしています。このように、砂岡事務所やブルーシャトルではマネージメントだけでなく、舞台を“作る”ことに特化していこうと考えています。

■ マネージャーは営業優先! 各メディアに構築された人脈が強み

通路の壁一面に掲示された、所属タレントの出演作のポスター。テレビ、映画、舞台などの数々の作品にタレントを送り出しています

東京のマネージャーは、メディア局に12名、砂岡事務所に5名います。少人数で大勢のタレントをカバーするのは大変ですが、営業に関しては、65年の歴史ですから、人脈・ネットワークができています。先方からキャスティングのイメージをいただいて、候補者を何人か送り出しています。NHKのみ、専任の営業担当が一人付いていますが、以前はテレビ局ごとに担当が付いていました。舞台担当や声優担当もいましたが、最近はもう垣根がなくなってきて、一人ひとりが各メディアを相手に営業しています。

マネージャーは現場に付き添いますが、現場までの移動は基本的にタレント一人です。なるべく営業の方に力を入れたいですし、タレントにとっても、マネージャーにいい仕事をとってきてもらえるほうがうれしいに違いありませんから。

マネージメントでは、タレントの心身のサポートも重要で、とくに精神面のサポートには気を遣います。メンタルが強い人ばかりではありませんから、タレントとしてせっかく注目されてきても、ネット情報やSNSで悪意のある書き込みを見て、ショックを受けてしまう人もいます。誰からも賞賛されるなんてことはまずないのですから、気にしなくてもいいのですが。そうやって中傷する人がいる中で、タレントを続けるというのは精神面で本当に大変だと思います。

■ エンターテインメントに特化した舞台をプロデュース

砂岡事務所プロデュース公演『絵本合法衢』(平成28年5月)は、豊島区のあうるすぽっとで上演され、好評を博しました

劇団ひまわりの3つの柱は、「俳優を育てる養成所」「マネージメント」、そして「作品の興行」。今後もこれは変わらずやっていきます。

このうち、養成所は少子化の問題もあり、入団者がだんだん少なくなっていくでしょう。これから力を入れていきたいのは興行部門です。砂岡事務所とブルーシャトルの各プロダクションで舞台を制作していますが、芸術的なものというより、エンターテインメントに特化して企画しています。

昨年5月に上演した、砂岡事務所プロデュース公演『絵本合法衢』は評判がよかったですね。脚本は加納幸和さん(劇団花組芝居主宰)、演出は丸尾丸一郎さん(劇団鹿殺し代表)。さらに板垣雄亮さん(ジェイ.クリップ所属)にゲスト出演していただいて、若手俳優を引っ張っていただきました。そうやって第一線で活躍されている方に来ていただくことで、見どころになりますし、劇団ひまわりの俳優たちも刺激を受けています。

この舞台に出演した佐藤流司さんは、“2.5次元ミュージカル”で活躍していて、ネルケプランニング会長の松田誠さんや社長の野上祥子さんが「佐藤流司さんは2.5次元を引っ張る存在」とおっしゃってくださるほど。“2.5次元ミュージカル”というものを定義した方にそう言っていただけるのは本当にありがたいことです。佐藤さんは高校生のとき、仙台のエクステンションスタジオに通っていて、仕事の時は都度東京に出てくる、という生活を送っていましたが、ついに決断して、上京してきました。気合が入っていますよね。最近では舞台だけでなく、フジテレビドラマ『ファイブ』にも出演していました。

■ 新しい発想で演劇をもっとおもしろく!

劇団ひまわりのスタートから1980年代半ばまでは、学校や公共施設などで上演する“児童青少年演劇”が中心でしたが、少子化や学校の教育方針の変化などによって、縮小の一途をたどっています。これからはお客様が観たいと思う、エンターテインメント性の高い作品を作り、本公演をする――つまり自分たちでチケットを売っていくというやり方をしていかなければ劇団として生き残れません。そこで、“エンターテインメント創出企業”として展開していこうと戦略を立てています。一から企画を考えるとお金も時間もかかりますが、できる限りオリジナルのものを作りたいなと。演劇界、とくにミュージカルでは海外で流行した舞台をコピーして作ることが多いのですが、ほかの人の真似をして作ることはしたくないと思っています。

また、昔から、演劇には難解でつまらないというイメージがあります。そのイメージを払拭し、演劇をおもしろくする、新しいアイディアを発想することが肝要なのです。

例えば、世田谷パブリックシアターの企画で、平成20年初演のサイモン・マクバーニー演出の『春琴』が話題になりました。谷崎潤一郎の小説『春琴抄』をモチーフに、独創的な演出が施された舞台です。海外公演も含めて何度も上演されていますが、あまりの人気にチケットがなかなか手に入らないほど。素晴らしい作品でした。この作品が若者からも人気を得たように、一見難しそうな古典・近代文学が原作であっても、どんな世代のお客様にも「おもしろい」と喜んでいただけるような作品にすることはできると思うのです。

■ 先代より映画への想いを受け継ぎ、節目ごとに製作

創立者の砂岡藤三郎さん。東宝映画東京撮影所でシナリオを勉強していたこともあったそうです

父・藤三郎は、黒澤明さんの映画『七人の侍』のシナリオチームにも入っていたという、映画畑の人だったので、劇団を起こしてからも、やっぱり「映画が作りたい」という想いがあったのでしょう。映画製作にも取り組んできました。

まず、創立30周年を記念して、『さらば箱舟』『伽倻子のために』の2作品を製作しました。

映画『さらば箱舟』(昭和59年公開)は、寺山修司さんの遺作となった作品です。映画を製作しようと企画を探していたところ、当時、ATG(日本アート・シアター・ギルド)にいた多賀祥介さんがもってきてくれたお話だったんです。それまで寺山さんの映画を結構観ていたので、「普通の商業映画とはまったく違う、歴史に残る映画が作れる」と思いました。

寺山さんは残念ながら、撮影が9割進んだところでお亡くなりになりまして、父もその少し前に亡くなったので、二人ともでき上がりを見ることはできませんでした。でも、カンヌ映画祭に出品できたのはよかったです。山崎努さんが仕事で調整がつかなかったので、小川眞由美さんや人力飛行機舎のプロデュ−サ−の九條今日子さんたちとカンヌに行きました。2週間滞在して、すごくいい思い出になりましたね。

映画『伽倻子のために』(昭和59年公開)は、小栗康平さんの監督第2作目の作品です。じつは『さらば箱舟』の製作に入る前に決まっていた企画だったんです。ところが当時、小栗さんの監督デビュー作『泥の河』が、海外も含めて賞を総なめにしたものですから、忙しくてほとんどシナリオに手をつけられない状況だったんですね。それで『さらば箱舟』のほうが先に公開となってしまったというわけです。この作品も評価されて、ロカルノ国際映画祭では国際映画批評家賞、ベルリン国際映画祭では国際アートシアター連盟賞を受賞し、小栗さんはフランスで日本人初のジョルジュ・サドゥール賞に輝きました。

創立50周年の際にも、小栗さんと映画『埋もれ木』(平成17年公開)を作りました。学習塾の5社に協賛をお願いすることになりました。劇団ひまわりが幹事会社となり、えいすう総研、さなる、栄光、ナガセ、ティエラコムと連携して製作を進めていきました。こちらも文芸路線でエンターテインメント作品ではありませんでしたが、『さらば箱舟』に続いてカンヌ映画祭に参加することができました。

今後、また映画を作りたいという想いはあります。今度はエンターテインメント作品を作りたいですね。誰が観てもわかりやすい、楽しめる作品を。

株式会社 劇団ひまわり ホームページ http://www.himawari.net/

 

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