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009 青年座映画放送株式会社

「劇団青年座」から独立してスタートした「青年座映画放送株式会社」
新しい“ヒト”“コト”を生み出すマインドで
演劇界からメディア界へ新風を送り続ける

代々木八幡商店街の路地を入ると見えてくる、タイル張りのレトロなマンション。ここが「青年座」のホームグラウンドです

事務所探訪第9回は、「青年座映画放送株式会社」です。「劇団青年座」の俳優のメディア対応・出演交渉はもちろん、「独自の企画を作り、製作の主体をもってメディア界に進出しよう」という志のもと、昭和55年、劇団から独立したプロダクションとして設立されました。その後、「劇団青年座」の俳優にとどまらず、外部から俳優をスカウトし、「青年座映画放送」所属としてマネジメントを行うようにもなりました。既存の枠にとらわれない柔軟な手法で、多くの名優を生み出しています。

今回、お話をうかがったのは社長の石井美保子さん。長年、マネージャーとして手腕を振るい、経営者となった今も現役でご活躍です。

■ ニーズとともに発展し、自立の道を歩んできた「青年座映画放送」

「青年座」のシンボルマークは舞台美術家の高田一郎さんが考案し、グラフィックデザイナーの佐藤晃一さんが作成。青年座の頭文字と人間の身体をイメージしています

「青年座」は、昭和29年5月1日、「劇団俳優座」の若手役者や研究所・養成所出身の、森塚敏、東恵美子、成瀬昌彦、天野創治郎、土方弘、中台祥浩、山岡久乃、初井言榮、氏家慎子、関弘子の10人によって結成されました。劇団名についてはいろんな候補が出たそうで、例えば「竹の子座」なんて名前も挙がったようですが、いちばん自分たち(若手役者)の立場に近い “青年”にしたと聞いています。

昭和28年にNHKさんと日本テレビさんがテレビの本放送を開始したわけですから、ちょうどテレビの時代に入る頃です。当初は経営部にマネジメント部門を置いて対応していましたが、テレビドラマの発展にともなって、東恵美子、山岡久乃、初井言榮はもとより、長内美那子も“昼メロ”のヒットをきっかけに引っ張りだこになり、テレビの仕事が急増していきました。

「青年座映画放送」の前身・映画放送部のオフィスがあった部屋で、当時の「青年座」を語る石井さん。スタッフ、俳優から慕われる、「青年座」の“肝っ玉母さん”的存在です

劇団を結成してから、渋谷、下北沢と拠点を変えていましたが、昭和44年、現在の代々木八幡のマンションを本拠地にします。私はその頃に、縁あって「青年座」に入りました。

当時は「青年座」の中に映画放送部があって、マネージャーも2人しかいなかったので大変でした。従来通り、劇団所属の役者を売り出すことは必死でやりましたが、「劇団員以外からも自分が“いい”と思った子を連れてきたい」と思い、前社長で当時は映画放送部の部長だった金井彰久に、まだ駆け出しの役者だった、かとうかず子を入れることを提案しました。その後、昭和55年、金井を中心に、劇団から独立したプロダクションとして「青年座映画放送」を立ち上げると、かとうはその所属として活動することになりました。

今もそうですが、当時もいろんな劇場に通って、いい役者を探しました。私はとくに、つかこうへいさんの舞台が大好きで、青山の「VAN99ホール」で公演していた頃から、また新宿の紀伊國屋ホールに進出後も、よく観に行っていました。平成18年から「青年座映画放送」に所属している石丸謙二郎のことは、彼がつかさんの舞台でデビューした頃から知っていました。彼がうちに来てくれたとき、「石井さんのところに来るまで25年かかりました」と言ってくれたのはうれしかったですね。

■ 熱き女性マネージャーとして「青年座」の一員に

音響ルームから見下ろした「青年座劇場」。この日は次期公演に向けて、読み合わせをしていました

「青年座」に出合わせてくれたのは、舞台美術家の朝倉摂さんなんです。大学を出てすぐにCMの制作会社に入ったのですが、そこで朝倉さんのご主人がプロデューサーとしてお仕事をされていて、打ち上げで朝倉さんのお家へ行くことになったんです。そこで朝倉さんとの会話の中で、「じゃあマネージャーをやらない?」と。「青年座」を紹介されて、初めて「青年座劇場」に行って芝居を観ました。ほかの劇団にも行ってみましたが、「青年座って、何だか明るいなぁ」と感じたんですね。その雰囲気のよさに惹かれて、すぐにマネージャーとして働きはじめました。

当時はまだ、女性マネージャーが少ない時代でした。きついから、みんな辞めてしまうんです。山岡久乃から、「うちで3カ月以上続いた子(女性マネージャー)はあんたが最初」と言われたくらい。じつは私、入社3カ月目に交通事故に遭いまして、大けがをしたのですが、それでもあきらめずに2カ月後、職場に這って戻ってきたものですから、山岡に「相当強い子だね。あんただったらもつかな」と言われました。

たしかに大変な仕事でした。その頃の役者は厳しくて、泣かされたこともありました。「台本(仕事)を持って帰れないマネージャーは、マネージャーじゃない」と。だから「負けるもんか! 両手で抱えるくらい取ってこようじゃないか」と必死でやりました。役者とはお互いに文句ばかり言い合っていましたが、オーディションに受かったりすると、抱き合って喜びを分かち合ったものです。

今は当時より役者の数が多いですから、その中で自分を売ってもらうために、役者はまずマネージャーを自分に惚れさせないといけません。役者に惚れなきゃマネージャーは本気になれないですよ。役者にはどんどん、マネージャーにアピールしてもらいたいのです。

■ やっぱりマネージャーはおもしろい!

マネージャーの醍醐味は、「やったー!!」という実感。やはり無名の子を有名にした瞬間、これは喜びに堪えません。でも、役者の売り方、これだけは“勘”なんですよ。

例えば、高畑淳子が劇団に入ってきたとき、体も大きくてきれいな子だったから舞台映えもするし、「売れるだろう」とは思ったんですよ。でも、「“今”はテレビで売れるタイミングじゃない」という感じが、私の中ではあったんです。しばらくは舞台を踏ませて力をつけさせるべきだろうと。30歳を過ぎた頃には、舞台女優として、2年先、3年先まで決まるような役者になっていました。

その後、40代に入った頃にTBS系列ドラマ『3年B組金八先生』で、養護の先生役としてレギュラー入りをするわけですが、チャンスをつかめたのも舞台のおかげ。プロデューサーの柳井満さんがよく高畑の舞台を観に来てくださっていたのです。

そして、フジテレビ系列ドラマ『白い巨塔』で強烈なキャラクターを演じて、「おもしろい!」と言われるようになったとき、「“今”だ!」と思いました。すぐに日本テレビ系列バラエティ番組『踊る!さんま御殿!!』のスタッフにお願いして、出させていただけることになったのです。(明石家)さんまさんが高畑の魅力を引き出してくださったおかげで、それからもバラエティ番組にたびたび出させていただくようになり、皆さんに知られるようになりました。今でもさんまさんにお会いすると、「さんまさんには足を向けて寝られないわ」と言うんですよ。「よく言うよ」って笑われますが。

■ 相手に直接会い、相手の顔を見て、想いを伝える

企画・営業も現場も全部やっていた頃が、いちばんおもしろかったですね。原作を読んで、おもしろいと思ったら話を決めて、キャスティングを提案して……。そうやってマネージャーとしてテレビ局に通う中でお世話になってきた皆さんとは、今でもお会いして思い出話をしたりするんですよ。

西田敏行が主演した日本テレビ系列ドラマ『池中玄太80キロ』の仕事でご一緒した、小松伸生さん(中京テレビ放送株式会社社長)や、井上健さん(株式会社日テレ アックスオン社長)とは、彼らが新人スタッフをしていた頃からの付き合いですが、さすがにもう「健ちゃん」とか呼んだら怒られるかな?(笑)。亀山千広さん(株式会社フジテレビジョン社長)のことも、今でこそ「亀山さん」ですけど、昔はずっと「亀ちゃん」と呼んでいました。出会ったのは、亀山さんがまだ大学を卒業したばかりの頃でしたね。彼が担当している番組が注目されると褒め称えたりして。立場こそ違えど、そういう近い距離感でやってきました。彼らは現場から離れてしまいましたが、今でも困ったときには助けてくれるような存在です。

そうやって人との縁を大切にしてきたものですから、いまだにメールでやり取りをするのがあまり好きではないんです。伝達事項を送るには役立つツールだと思いますが、何か話をするときに相手の感情が見えないのが嫌なんですね。今のマネージャーたちにも言っているのですが、例えば「スケジュールをなんとか調整してほしい」とお願いごとをするときも、電話やメールではなく、それこそ日参するくらい会いに行く。そうして、“本当に困っている”という想いをきちんと伝えることが何より大切だと思っています。

■ 青年座座長から託された「青年座映画放送」の未来

そういう根っからのマネージャー人間ですから、自分が経営者になるなんて思ってもみませんでした。でも、10年前に突然、(青年座座長の)森塚(敏)に呼ばれて、「映画放送はお前がやっていけ」と言われました。これにはびっくりしましたね。あとで聞いた話ですが、演出家の宮田慶子には「演出はお前が固めていけ」、高畑淳子には「お前が役者を引っ張っていけ」と、それぞれ言ったそうです。私たち3人に“お前たちがやっていくんだぞ”と。それが私にとって森塚の最期のメッセージになりました。

「青年座映画放送」の社長に就くにあたっては、覚悟をもって臨みました。自分の身に何かあったときに社員が路頭に迷わないよう対策を講じましたし、社長の給与も減らしました。

やっぱりこういう商売ですから、いい年もあれば赤字の年もあります。この不況の中、「経営が成り立たないときには潔く解散しましょう」と社員には言ってあります。きっと、社員たちは「そうなっては困る」と思っているのでしょうね、だからこそ必死にがんばってくれているのではないかと。経費も切り詰めて、文句ひとつ言わず、よく働いてくれて、本当に感心します。社員には感謝の想いしかないですね。

■ 一人ひとりの得意分野を生かしたスタッフ体制

所属俳優のメディア出演の予定を掲示板で紹介しています

「劇団青年座」の劇団員と、「青年座映画放送」の所属俳優で、マネジメントの方針に違いはありません。

「青年座映画放送」には、声のマネージャーが3人、舞台・映像のマネージャーが10人います。声の仕事は、基本的には映像とは別の人間が担当しています。昔に比べて、吹き替の制作会社が数えきれないほど増えましたし、出演料の計算方法も複雑で、映像の仕事とはあまりにも違ってきました。特殊な業界の分、経験が必要です。ただ、声のマネージャーも、映画予告ナレーションの仕事などで映像分野にかかわるなど、ジャンルをまたいで仕事をすることもあります。

ほかにも、舞台に強いマネージャー、バラエティに強いマネージャーなどがいます。基本的には専任制ではないので、それぞれの得意分野でキャスティングをして、いろいろな役者を売り込みに行きます。「現場マネージャーは必要ない」という役者が多いので、いちばん力を入れているのは営業なんです。

バラエティに強いマネージャーがいてくれるのはとても助かっています。というのも、バラエティ番組に出ると、役者の知名度が上がるのはもちろん、芝居の勉強になるという利点もあるのです。その場でテーマを与えられてトークをしなければいけないわけですから、芝居の反射力や胆力が鍛えられるんですよ。

■ マネジメントにマニュアルなし! オーダーメイドのサポートを

第一線で活躍する俳優をサポートするスタッフの皆さん

マネージャーって、おもしろいくらい、人によってやり方が全然違うものなんですね。それでいいと思います。やり方が違うだけであって優劣はない。マネージャーも一人の人間ですから。

そして、それは役者も同じ。一人ひとり考え方も芝居への取り組み方も違うので、サポートの仕方をそれぞれ変える必要があります。

例えば、高畑淳子の場合、「言葉遣いや仕草で、役者の生まれや育ちがわかるような芝居はしたくない」と、徹底した役づくりをする人なので、それに対するサポートが必要です。昨年、高畑がフジテレビ系列ドラマ『ナオミとカナコ』で中国人女性・李朱美役を演じるにあたって中国語のレッスンを受けたのですが、なかなか役に合う中国人の先生が見つからず探し回りました。「おばさんの役だから、おばさんらしい中国語を聞きたい」と言うんですね。先生が話す日本語も、「流暢な日本語じゃなくて、李朱美らしい日本語を話す方を探してほしい」と。そうやって適任の先生を見つけて、スケジュールを組んで、台本があがってくると音源を用意して……と、出演作品によっては、それくらい行き届いた心配りができないとマネージャーは務まらないですね。

■ 地域の皆さんに支えられてきた「青年座」

「青年座」は渋谷、下北沢を経て、昭和44年に代々木八幡に本拠地を構えました。マンションの1、2階に「青年座劇場」や稽古場、事務所があります

代々木八幡に「青年座」が来て、もう半世紀近くになりますので、地域の皆さんとの関係も密になっています。昔よく通っていたお店がなくなってビルになったりと、街並みは変わってきていますが、今でも街を歩いていて、引退した店主さんと会うと、お互いに声をかけ合うんですよ。昔からずっと、劇場に舞台を観に来てくださる方もいます。応援してくださるお気持ちがありがたいですね。

(劇場や事務所が入っている)マンションの住民の皆さんにも、本当に感謝しています。マンションの建て替えについて話し合った会議でも、住民の皆さんが「ここにいてほしい」と言ってくださったんですよ。「青年座」が地元に根付いた存在になれているのがうれしいですね。

■ 舞台役者は、いつの時代も、いくつになっても輝ける

舞台をやっている役者というのは、きちんと蓄積されてきたものがあるので、流行にも左右されませんし、いくつになっても強いんですよ。テレビ出演が多い「青年座映画放送」所属の役者――石丸謙二郎も、藤吉久美子も、渡辺いっけいも、みんな舞台を踏んできましたし、「これからも舞台をやりたい」と言っています。渡辺いっけいは平成29年3~4月に舞台『おもろい女』で名古屋・大阪で上演する予定で、平成28年の秋には「劇団☆新感線」の公演を控えています。舞台というのはそのくらい、役者にとって大事な場所なんですね。

窪塚俊介にしてもそうで、舞台で経験を積んで力をつけ、やっと皆さんに認めていただける俳優になってきました。仲間由紀恵さん主演の『放浪記』にも出演しまして、仲間さんや若村麻由美さんによくしていただいたそうで、本当にありがたいです。平成29年公開予定の大林宣彦監督の映画『花筐(はなかたみ)』では主役をやりますし、その後も主演映画が2本決まっています。

■ 原点を思い出させてくれた“大分プロジェクト”

壁一面を覆い尽くす膨大な数のファイルには、過去の公演のちらしや新聞記事などの貴重な資料が保存されています

最近、大分で新しい取り組みをスタートさせたところなんです。平成26年、大分県国東市と「青年座映画放送」で文化振興の連携・協力協定を結び、くにさき総合文化センター(アストくにさき)にある「アストホール」のプロデュースを任されました。協定の締結記念として、風間杜夫さんに開いていただくことになった落語会は市民の皆さんに大好評で、毎年欠かせない行事になりました。落語会は今年で3年目の開催になります。

平成28年10月には、樹木希林さんをお招きして、映画『わが母の記』の上映会・トークショーを企画しました。たくさんの方にご来場いただきまして、735席のホールには入りきらず、別途、パブリックビューイング会場を設けるほどの大盛況でした。

平成27年6月からは、市民の皆さんを対象にしたワークショップ(演劇講座)を始めました。講座のメンバーは8歳から81歳まで! 平成28年3月には、郷土の偉人である日本で殉教したカトリックの司祭・ペトロ岐部をテーマにした舞台『遥かなる海の讃美歌~ペトロ岐部物語』を上演しました。大分市の劇作家・岩豪友樹子さんに書いていただいた脚本を、うちの演出家(磯村純)が演出。演じたのは市民の皆さん22人に加えて、うちの新人役者2人(松田周、當銀祥恵)。一日限定の2回公演だったのですが、びっくりするくらい、たくさんのお客さんが集まってくださいました。

舞台を観てくださった皆さんがとても喜んでくださって、国東市長からも「またやろう!」とお声がかかり、続けることになったんです。今年度のワークショップでは、「青年座」が長年上演してきた、水上勉さん作の演目『ブンナよ、木からおりてこい』に取り組んでいます。

公演前の10日間は一軒家をお借りして、全スタッフで合宿生活をしたんです。製作費が限られているので、舞台装置も布を使って手作りして砂嵐や波を表現したり、試行錯誤しながら舞台をつくりあげていきました。朝から晩まで一緒にいましたね。私も朝ごはん、お昼のお弁当、晩ごはんと、毎日3食作ってサポートしました。

こうやって、みんなでひとつになって舞台づくりをするというのは、本当に楽しい時間で、「青年座」の原点を思い出しました。まるで昔に戻ったような熱気で、あんなに楽しかったのは久しぶり。というのも、「青年座」はもともと、アットホームな劇団。創立記念パーティーや新人歓迎会でも、必ず自分たちで料理を手作りしてふるまったりするんです。人としての“温度”が高いといいますか、そういう“温かさ”が伝統的にあるんですね。たしかに、組織としてこれだけ大きくなって、昔とは違う。それはわかっているのですが、これからも、この原点は大事にしていきたいと思っています。

「青年座」の財産演目『ブンナよ、木からおりてこい』の資料。学校公演の際に子どもたちが綴った感想文や、ファンレターなども大切にとってあります

 

青年座映画放送株式会社 ホームページ http://www.seinenza-eihou.com/
劇団青年座 ホームページ http://seinenza.com/

 

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